八重山の家譜

琉王

2006年06月04日 20:55

  先週届いた「石垣市叢書6  山陽姓大宗・上官姓大宗・長栄姓小宗・錦芳姓小宗 各家譜」
です。
山陽姓は宮良家(名乗頭  長)で、ずっと宮良頭職をやっていた由緒ある家柄です。ただし、「宮良殿内」を建てたのは松茂姓の宮良家(名乗頭  当)で、まったく違う一族です。
上官姓は當銘家(名乗頭  正)で、八重山大浜頭職を代々やっていたようです。
八重山は当時3つの間切が存在しました。それが石垣、大浜、宮良です。
間切というのは王朝時代の制度で、今で言えば県のようなものです。
長栄姓は大浜家(名乗頭  信)で、石垣頭職を務めていました。
頭職というのは八重山の職制では県知事のようなものです。
最後の錦芳姓は大宗慶田城家(名乗頭  用)ですが、これは「西表首里大屋子」といい、前3家の下にいたわけです。
しかし、西表では最高権力者でした。
これはなぜかといいますと、王朝に従う以前はこの慶田城家が西表を支配していたからです。
つまり、本土で言えば対馬の宗氏とおなじですね。
ちなみに宮古もこうした形で忠導姓の仲宗根家(名乗頭  玄)が代々頭職を務めました。

 家譜の詳細資料はありませんが、八重山にはほかにも益茂姓宮良家、大史姓宮良家、戴長姓宮良家、憲章姓仲間家、嘉善姓石垣家などがあります。

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