2006年03月30日
信念のひと 屋良朝苗
今日は最後の琉球政府主席であり、また戦後最初の沖縄県知事となった屋良朝苗(1902~1997)のお話です。彼は名前からもわかるとおり、琉球王家につながる家の生まれです。生まれは読谷の瀬名波で、県立師範学校、広島師範学校を出てから後、沖縄へ戻り県立第一高女の教師として教育界に第一歩を記しました。そして、1950(昭和25)年に沖縄群島政府文教部長となり、1952(昭和27)年には沖縄教職員会の会長となり、沖縄の教育復興と沖縄の日本復帰に全力を尽くしました。
1968(昭和43)年の主席公選で現在は自民党と合併している「革新共闘会議」で出馬、当選した後は復帰に全力を注ぎ、1972(昭和47)年の復帰後初の県知事選でも圧勝、県政の発展に尽くしました。1997(平成9)年2月14日没。享年95歳。
1968(昭和43)年の主席公選で現在は自民党と合併している「革新共闘会議」で出馬、当選した後は復帰に全力を注ぎ、1972(昭和47)年の復帰後初の県知事選でも圧勝、県政の発展に尽くしました。1997(平成9)年2月14日没。享年95歳。
Posted by 琉王 at 20:47│Comments(1)
│沖縄の人物
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1976年は屋良朝苗さんが沖縄県知事を退任した年です。 そして同じ1976年にもう1人の屋良朝苗さんが生まれました。そうです!「パッション屋良」さんこそその人です。18日、エブリバデ...
屋良朝苗さんに会いました【沖縄に単身移住する! ゴーヤー茶のブログ】at 2006年05月20日 22:18
この記事へのコメント
すごい人ですね。まさに波乱万丈の人生だな〜。 同じ屋良でも、パッション屋良とは大違いだよ。(笑)(笑)
Posted by みやらび at 2006年04月16日 20:58