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2006年02月20日

宮古の戦争

さて、先島の戦争シリーズ第二回は宮古島です。
宮古島も米軍上陸はありませんでした。しかし、当時の宮古島には飛行場が三つ、滑走路が6本あったために激烈な空襲を受けました。いわゆる10・10空襲です。宮古島を爆撃したあとに那覇へ向かい、那覇の10・10空襲があったわけです。ですから平良の街は焼け野原になってしまったわけです。この空襲で畑も全部だめになってしまって、当然食料がなくなるわけですが、制海権は完全に米軍側にあったので、輸送船は全部魚雷で沈められました。そんなこんなで食糧はない、衛生環境は劣悪というなかで餓死者、マラリアでの死者がほとんどなのです。したがって、宮古の場合は戦火によるものと言うよりも飢えと病気で亡くなった人ばかりなのです。特にマラリアは島の東部でひどかったといいます。当時の宮古の人口が約五万人、そこへ3万の日本兵が入ってきてそんなことになってしまったのです。宮古で「平和の礎」に刻まれているのは3000人くらいですが、これからもっと増えていくでしょうね・・・。

と、いうことで二回にわたってお送りした「先島の戦争」でしたが、明日は「凄絶な殺し合い 地獄の渡嘉敷島」をお送りします。お楽しみに。


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Posted by 琉王 at 21:11│Comments(3)沖縄の戦争
この記事へのコメント
八重山の戦争のことは少しだけ勉強したんですが、宮古のことはまだ…
調べれば調べるほど、本土の盾にさせられたと言う感じがして、とても切なくなります。

渡嘉敷も『酷い』と、言う言葉では言い表せないコトが起こったんですよね…
記事、すごく興味があります!

アップされるの待ってます!
Posted by まちゃこ at 2006年02月20日 23:05
>まちゃこさん
そうなんです、渡嘉敷は地獄絵図のようなことが現実に起こってたらしいんですよ、いろんな本読むと・・・。我々の想像を絶するものがあります。人間ってのはほんとに何なんでしょうなぁ・・・・?
Posted by yoshi at 2006年02月20日 23:15
父が宮古出身(現在73歳)で、戦時中は台湾に疎開し、宮古島住民の被害者は甚大なものでは無かったはずと申しております。台湾で楽しく過ごしたそうです。
本でどんな知識を得たのか知りませんが「沖縄県民は皆、惨めな戦争被害者」みたいな目線はやめて頂きたい。迷惑です。
Posted by 大城 at 2012年04月01日 01:03
 
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