2006年08月10日
棒の手
はい、地元ネタが続きます。今日は「棒の手」です。我が尾張旭には流派が五つあります。つまり、江戸以前の村単位で流派があります。旧新居村が無二流、旧稲葉村が検藤流、旧印場村が東軍流、旧庄中村が直心我流で、印場と庄中の間の一族が直師夢想東軍流となります。ただし、印場と庄中は早い時期に村が合併したため印場地区は3流派が伝承されていますが、庄中と印場はとにかく仲が悪かったそうです。確かに印場地区には「延喜式」に出てくる神社があります。「山田郡渋川社」となってますが、これが現在の渋川神社です。神格は正四位下とわりと下ですけどね。で、ここでその3流派が一気に見れます。新居の人間からは「印場の百姓ボウタチばかり」なんてことをいわれてたそうですが、とにかく荒っぽいです。新居の無二流と速さが違いますもん・・・。なんせ草鎌対花傘なんてのがあるくらいですからね。鎖鎌対鍋蓋というのもあります。まぁこれはどの流派でもありますが、印場の流派は柔術の要素を持っていることで特徴的です。武器を両方ともなくした場合、柔術のようなのが入ってくるわけです。特に見ものは槍対草鎌です。槍とびとか鎌とびってのができることがうまい人間の証明になっています。で、最後に構えです。先足をのばすという妙な構えですが、これは蔵王権現が関係あるようです。しかし、仏教基盤でここまで発展してきてるのも凄いですね。旭は隠れ天台かもしれませんな・・・。だって御嶽山も天台系だし、棒の手始めた水野又太郎良春ももともと吉野金峯山寺の僧兵だったわけだし・・・・。で、ちなみにこの水野又太郎良春についてきた神官が我が家の先祖だそうです。このへんはもうまったく伝承の域ですが、家紋の「五三桐」は後醍醐天皇下賜ということだそうなのでこれは本当かもしれません。なんせ、皇室の裏紋ですからね、桐紋は・・・。
Posted by 琉王 at 21:23│Comments(0)
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